質量分析計による測定の基本はイオン化にあり:EI編

久しぶりに、質量分析に関する専門的な内容を投稿します。長いのでお時間ある時に読んで頂ければ幸いです。

 

“質量分析”は、日本質量分析学会のマススペクトロメトリー関係用語集によると以下のように定義されています1)

「質量分析計(mass spectrometer)と質量分析器(mass spectrograph)、およびそれらの装置を用いて得られる結果に関するすべてを扱う科学の一分野。」

ピンと来ない部分もある定義ですが、要は“データの解釈”という部分にフォーカスされていて、“データを得る”という部分すなわち“測定”は含まれていないような印象を受けます。しかし、私は、“測定”の部分も当然“質量分析”に含まれて然るべきだと考えます。

 

“質量分析”の基礎・基本で重要なのは、何といってもマススペクトルの解釈であり、特に高分解能マススペクトルの解釈について今まで何度かにわたって書いてきました。今回から数回は、“測定”特に”イオン化”にフォーカスしてネタを書いてみます。

 

質量分析計による測定の基本はイオン化にあります。

 

質量分析は、気相イオンを分析(測定&データ解析)する科学です。今ここに、質量分析したい試料(含有成分)がある時、先ず考えなければならないことは、その試料(含有成分)がイオン化するか否か、複数のイオン化法の中からどのイオン化法を選択すべきか、ということです。ここで、この話を進める前に、イオン化の定義を明確にしておく必要があります。

 

イオン化とは...

Wikipediaでは「電荷的に中性な分子を正または負の電荷をもったイオンとする操作または現象」、またコトバンクでは「電気的に中性の分子や原子が、電子を失うか得るかしてイオンになること」とあります。ここで、イオンになるときに分子内結合の開裂・断片化を伴う場合をイオン化に含めるか否かが問題で、その解釈次第でここでの話は意味が変わってきてしまいます。従ってここでは、分子内結合の開裂を伴う場合はイオン化には含めず、分子が元の分子構造を保ったまま(分子内結合の開裂を伴わず)正あるいは負の電荷をもつ現象をイオン化と呼ぶことにします。ただし、ここで言う“分子構造を保ったまま”の意味は三次元構造ではなく二次元構造です。

 

現在市販されている質量分析計で利用可能なイオン化法は、概ね以下です。

・電子イオン化(electron ionization, EI

・化学イオン化(chemical ionization, CI

・電解脱離法(field desorption, FD

・高速原子衝撃法(fast atom bombardment, FAB

・マトリックス支援レーザー脱離イオン化(matrix assisted laser desorption ionization, MALDI

・エレクトロスプレーイオン化(electrospray ionization, ESI

・大気圧化学イオン化(atmospheric pressure chemical ionization, APCI

・大気圧光イオン化(atmospheric pressure photo ionization, APPI

 

今回は、EIについて考えてみます。EIは、加熱によって試料を気化させる必要があるため、加熱によって気化する性質(揮発性)をもつ試料に対して有効なイオン化法です。

通常、GC/MSで用いられているイオン化法はEIです。試料を質量分析計に導入する方法として、GCカラムを通過させる(混合物をGCカラムで分離してから導入する)方法と、イオン源内で直接気化させる直接導入法がありますが、装置によっては直接導入法が選択できない場合もあります。

 

例えば、未知試料をGCから導入してEIでイオン化し、マススペクトルを取得する場合を想定してみます。試料は、通常溶液状態で注入口に導入され、加熱によって気化した成分がキャリアーガス(ヘリウム)と共にカラムに導入されます。カラムによって分離された成分は順次イオン源に導入され、EIによってイオン化され、マススペクトルが得られます。このマススペクトルをデータベース検索し、その成分を推定するのが一般的なGC-MSによる分析の流れです。

このプロセスにおいて、試料成分のイオン化という観点から幾つかの注意点があります。先ずは、GCの注入口で試料溶液を加熱する時、試料成分が熱分解を起こしてしまう可能性があることです。ある試料成分が注入口で熱分解して別の化合物になってしまう場合、後者の構造を保ったままEIでイオン化されてM+が生成したとしても、それは、元々の構造は保っていないので、目的の試料成分がイオン化したとは言えません。この、試料成分の加熱・気化のプロセスにおいて熱分解を起こしてしまう可能性は、GCからの試料導入以外にも、直接導入法でも起こり得ます。

 

このような問題を回避できる可能性として、GCからの試料導入については“コールドオンカラム注入法”があります。また、直接導入法では“Desorption EI法”が知られています。

 

直接導入法には、通常加熱プローブが用いられます。プローブ先端のガラスキャピラリーに試料溶液を数µL注入し、イオン源に挿入、プローブ先端を昇温させて試料成分を気化させます。この時、熱に不安定な化合物は熱分解を起こしてしまいます。一方、Desorption EIでは、プローブの先端に白金線がついていて、この白金線に試料溶液を塗布してイオン源に挿入します。そして、白金線に高電流を瞬間的に流して高温にして、試料成分を瞬間的に気化させます。瞬間的に高温状態にすることで、試料成分は熱分解を起こすより前に気化される可能性が高くなります。

 

熱分解することなく試料成分が気化してイオン源に導入されたとして、次に問題になるのがEIでのイオン化です。EIでは、通常70 eVの電子線を気化した試料成分に照射して、試料成分の分子が電子を1つ失ってM+が生成します。しかし、多くの有機分子はイオン化ポテンシャルが10 eV程度であり、70 eVの電子線は分子のイオン化にとっては大過剰なエネルギーです。そのため、殆どの有機分子は、イオン化と同時に断片化(フラグメンテーション)を起こします。この時、M+とフラグメントイオンが適度な比率で観測されれば、分子の質量情報と構造情報の両方が得られるので良いですが、中にはM+が全く観測されず、全てフラグメントイオンになってしまう有機分子もあります。それが未知化合物であれば、定性分析の観点からは分子質量が分からないので致命的です。

 

“ライブラリーサーチでヒットするデータがあれば良い”

 

と考えている人もいますが、それは危険です。例えば次のデータは、農薬の一種であるテルブカルブのEIによるマススペクトルと、そのライブラリーサーチ結果です。

ライブラリーサーチ

 

m/z 277 (M+)は観測されず、m/z 220のフラグメントイオンが最も大きなm/zで観測されています。ライブラリーサーチ結果で最も類似度が高いのは、異なる化合物のマススペクトルでした。テルブカルブのマススペクトルにおいて観測されているm/z 220イオンは、以下のように生成すると考えられます。

テルミカルブ_フラグメンテーション

 

標品がある試料成分を、GC/MSを用いて定量分析を行う場合、M+が全く観測されず、全てフラグメントイオンになってしまっても、EIによって得られるマススペクトルのパターンは非常に再現性が高いので、フラグメントイオンのm/z値をモニターした選択イオンモニタリング(selected ion monitoring, SIM)で対応可能です。

 

EIとそれを用いるGC/MSはとても完成度が高く汎用性もあり有用な分析法ですが、未知試料の定性分析という観点においては、加熱気化における熱分解やEIイオン化におけるフラグメンテーションに注意が必要です。また、ライブラリーサーチは万能ではないと言うことも、是非覚えておいて下さい。

 

引用文献

1) 日本質量分析学会用語委員会編「マススペクトロメトリー関係用語集第3版(WWW版)、p. 70(2009).

 

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