質量分析のソフトイオン化温故知新:Frit-FABのあれこれ-1

5/1719に行われた第65回質量分析総合討論会の“メタボロミクス温故知新”でイオン化の話をしてきた内容の一部を3回紹介してきました。

1回目:第65回質量分析総合討論会に参加して:イオン化温故知新、ESIFABの比較-1

2回目:第65回質量分析総合討論会に参加して:イオン化温故知新、ESIFABの比較-2

3回目:質量分析のソフトイオン化温故知新:ESIFABの比較-3

 

今回はその続き、4回目です。前回に引き続き、今回の記事に挿入している図や写真は、日本電子の松浦健二氏と旭川医科大学の阿久津弘明氏にご提供頂きました。冒頭でお礼申し上げます。

 

前回の投稿では、FABfast atom bombardment、高速原子衝撃法)イオン化とそれを使ったLC-MSインターフェースであるFrit-FABについて解説しました。今回は、日本電子在職中にFrit-FABを使っていた当時(1990年~1995年頃)を思い出しつつ、あれこれ書いてみます。

 

FABは真空中でのイオン化であり、Frit-FABでは、キャピラリーを介して液体を真空中に導入します。液体は気体に変わる時に約1000倍体積が膨張するため、質量分析計の真空度を維持するためには、Frit-FABへの液体導入量は約5 µL/minに制限されます。日本電子でFrit-FABをメインで扱っていた当時、HPLCの標準的な移動相流量は1 mL/minでした。今でこそプロテオミクスなどの研究分野でミクロHPLCやナノHPLC1)が普及していますが、当時はまだ、小スケールのHPLCは殆ど普及していませんでした。

Frit-FAB LCMSシステム

 

1 mL/minの移動相に対して、ポストカラム(HPLC出口)でマトリックス溶液を0.3 mL/minで添加し、それを約5 µL/minにスプリットして使用していましたので、スプリット比は実に1/260! カラムに注入した試料の1/260しかイオン源に入らなかった訳です。私の当時の職場はMS応用研究グループ、主な仕事はお客様への装置のデモンストレーションや依頼分析でした。これらは所謂販促支援活動であり、装置を売るために競合他社とデータ競争をすることになります。

 

日本国内でESIelectrospray ionization、エレクトロスプレーイオン化)が使われ始めた当初は、今のようなネブライザーガスを使う技術は無く、静電的な作用のみで帯電液滴を生成させる純粋なエレクトロスプレーでした。静電的な作用のみで帯電液滴を生成させることでできる液体導入量は約5 µL/minが上限であり、Frit-FABとほぼ同じでした。また、その頃のESIはイオン化の状態も不安定で、HPLCとの直結はなかなか困難でした。当時早々にESIを導入していたメーカー各社では、HPLCとの接続を試みてはいましたが、それ程良いデータは得られておらず、Frit-FABでも十分対抗できていました。

 

その後、ESI1 mL/min条件のHPLCを直結させるために様々な技術改良がなされ、加熱ネブライザーや超音波ネブライザーなどの技術を経て、現在の高圧窒素ガスを用いた空圧ネブライザーに落ち着きました。ソニックスプレー2)もこの頃に開発された技術です。

 

空圧ネブライザーの技術開発に差動排気領域での高周波イオンガイドの技術開発が加わり、ESIは今のような構成になったと記憶しています。コンベンショナルHPLC(移動相流量 1 mL/min)との接続が可能になったとはいえ、ESIのイオン化メカニズム的には移動相流量は少ない方が良いことは分かっていました。コンベンショナルHPLCでセミミクロ流量でのグラジエント溶離が可能になり、セミミクロHPLC+空圧ネブライザー方式のESIという組み合わせが一般的になったのは、私がまだMS応研に居た1995年頃ではなかったでしょうか?

 

この頃のESIの進歩は速かったですね! 日本電子はまだFrit-FABが主力でしたから、内径2 mmのカラムで移動相流量200 µL/minのセミミクロHPLCと組み合わせてもスプリット比は1/40以上、感度面でESIに到底及ばず競合他社とのデータ競争では苦戦を強いられました。

 

そこで私は、ミクロHPLCに走りました。当時、野村化学に居た長江さんが、内径0.3 mmのミクロカラムを盛んに開発していて、コンベンショナルHPLCをミクロHPLCに改造する方法を紹介されていました。プレカラムスプリットによる方法です。内径0.3 mmのカラムの最適な移動相流量は約5 µL/minですから、Frit-FABへの接続には最適です。試料注入量は少なくなりますが、カラムに注入した試料は全てイオン源に導入されるので、高感度分析が可能でした。これで随分とアプリケーションデータを取得したものです。長江さんには、ミクロHPLC構築の際には大変お世話になりました。

 

ミクロHPLCFrit-FABを組み合わせて測定した様々なデータを、ユーザーズミーティングでよく紹介したものです。しかし、当時はまだHPLCのスケールダウンはセミミクロまでで、今のようにミクロやナノスケールのHPLCが一般的になると思っていた人は、かなり少なかったのではないでしょうか? ミクロLCと言えば、私達やもう少し先輩の方達には石井大道先生3)がお馴染みで、その頃より前からミクロスケールLCの研究をなさっていましたが、実際、ユーザーズミーティングでミクロの話しをした時など、聴講者の中からは“ミクロLCなんて今後の発展が期待できない技術を何故使うのか”などの質問が出たのを覚えています。私は、GCの変遷を見ればLCでもミクロ化が主流になると思っていたので、そのように答えましたし、その後日本電子がAnalytica of BranfordESIを採用し、ついで自社のESIを開発した後でも、ミクロやナノLCの技術は継続して身につけるようにしていました。

 

その時の、コンベンショナルLCからミクロLCを構築する技術は、今の仕事でも役に立っていて、LC/MSの技術指導を請け負っているJXエネルギー㈱様との共同研究で用いました。

 

FABは、マトリックス由来のイオンが顕著に観測されることがデメリットであることを除けば、FABは非常にシンプルで解析し易いマススペクトルが得られる有益なイオン化法です。化合物の性質に応じて複数のマトリックスから適するものを選択する必要があることは、MALDIに近いものがあります。しかし、Frit-FABを用いることで、マトリックス由来のイオンを減算したマススペクトルが得られますし、以前解説したようにFrit-FABはダイナミックな状態の溶離液+マトリックスにキセノンを照射するため、通常のスタティックFABほどマトリックスと分析種との相性が重要ではなくなります(標準的なグリセリンでより多くの化合物をイオン化できる)。

レセルピン_マススペクトル_FAB

レセルピンのマススペクトル(FAB)

 

レセルピン_マススペクトル_Frit-FAB

マトリックスイオンを減算したレセルピンのマススペクトル(Frit-FAB)

 

ミクロLCやナノLCがかなり普及してきた現在、様々なメリットをもつFrit-FABがもう一度見直されても良いのではないかと強く思っています。Frit-FABが今一つ普及し切れなかったこととして、fritと呼ばれる焼結フィルターの問題がありますが、これも現在の加工技術を使えばクリアできると思います。これについては、また改めて書いてみたいと思います。

 

引用文献

1) Y. Ishihama, Chromatography, 29(1), 25-31 (2008).

2) A. Hirabayashi, J. Mass Spectrom. Soc. Jpn., 47(5), 289-296 (1999).

3) 石井大道、分析化学、49(12), 929-940 (2000).

 

 

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